北軽井沢倶楽部
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ガーデニングと歴史/森・ガ

2014.06.22

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昨日、ピンクガーデンの鎖国化について考えていたら、 私の今やっているガーデニング奮闘記は戦国時代からの日本の歴史にその移ろいを重ねあわせることができると気づく。 まず4年前は乱世でつる草、イバラ、雑草、乱戦入り乱れた原野だった。 しかしながら次第に頭角を表す武田、上杉、北条、織田、豊臣、徳川と残るべきものの優劣はついてくる。 おっと、地元の殿様である真田も忘れてはならない。 3年前、中央ガーデン構築。 すべて古いもの撤去、更地化する。 中央ガーデンの真ん中にそびえ立っていたくりの巨木の撤去などは一向宗石山本願寺の信長による制圧といったところか。 何しろ倶楽部の敷地は村人に“栗林”と呼ばれていたところだ。 敷地のあちこちに栗の巨木が生息している。 栗は秋に我々の頭をめがけてイガグリ攻撃をしかけてくるのだ。 一向一揆みたいなものだ。 そして、信長が天下布武を目指す途中でスペイン、ポルトガルの南蛮文化にあこがれたように、 私はターシャガーデンの“偉大なる模倣”にとりつかれ、カサブランカ、ジャーマンアイリス、チューリップ、ムスカリ、ジキタリス等など横文字植物を取り入れてしまう。 時は流れ、関ヶ原の戦い、江戸時代の幕開け。赤松、もみの木、50本の伐採は最後の天下平定に向けての大事業。 50本の大木は切り倒され、2万本の薪にされてしまう。 この処理に私はまる2年を費やした。 家康のあとを継いだ秀忠も地味な人であったようだが、50本の大木処理の苦労は父 家康とは別の意味での大変さであったと思う。 今年は3代家光あたりであろう。 私はどんどん鎖国を進める。 長崎の出島も整備している。 今の悩みはスギナである。 やせた酸性度の強い土地に繁殖し抜いても抜いても地中深くはびこった根からまた芽が出て来るスギナはまさに隠れキリシタンなのだ。 本当は土壌改良をすべきなのにただ出てきたスギナを人手をかけて抜いている・・・。 物事を達成する時の真理が見えてくる。 (KH)